先日、奈良県の大和郡山城に行ってきました。
天守閣はないのですが、
石垣とお濠がとても立派なお城です。
織田信長の時代に、筒井順慶が築城。
豊臣秀吉の時代に、豊臣秀長が百万石の居城となりました。
その後江戸時代には郡山藩がおかれ、
水野氏、松平氏、本多氏などの統治の後、
柳澤氏が入り幕末まで続きました。
当時、奈良の中心地は大和郡山だったそうです。
個々の石垣には大きな特徴があるそうで、
それが「転用石」が多く用いられていること。
「転用石」とは、
戦国時代、多くの築城があり、石材が不足していたため、
墓石や石仏や石棺、灯篭、
よその建物の礎石などを転用して使用した石のことです。
大和郡山城で特に珍しいものが「逆さ地蔵」。
石垣にお地蔵さまが逆さまになって用いられています。
近づいて、のぞき込んでみると、本当にお地蔵さまが逆さまに。
分かりにくいかもしれませんが、
逆さまになっているので、
お賽銭がお地蔵様の逆さの頭部のほうに、
こんな風にお供えされています。
ほかにも、平城京から持ってきたといわれる石などもありました。
天守台に登ると、
法隆寺、唐招提寺、薬師寺、平城京と奈良の観光地が見渡せます。
機会があったら、ぜひ訪れてみてください。
さて、大和郡山といえば金魚の町で有名です。
これは、1724年に入場した柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が、
入封前の地・甲府から持ち込んだからなんだそうです。
江戸時代、金魚は観賞魚として人気を集めました。
その後、人の手で様々な金魚が生まれました。
水の中を悠々と泳ぐ金魚、
鮮やかな色やたなびくひれ、
その優雅な美しい姿は、いつしか、
「泳ぐ宝石」といわれるようになったそうです。
水槽の中で、
美しい色と揺らめくヒレをたなびかせて泳ぐ姿は、
宝石の様かもしれません。これからの暑い夏、
水槽に泳ぐ宝石・金魚は一服の清涼剤になりますね。
マリッジリング、エンゲージリングをはじめ、
様々な宝石を取り揃えております。
皆様のご来店お待ち申し上げております。